イノッチの鉄道模型ブログ

日常生活の中のトピックスを気ままに書きます。鉄道模型製作や畑作業が中心です。
これまで製作した鉄道模型作品は、ホームページ「イノッチの鉄道模型」inoyoshio.jimdo.comに載せていますので、こちらもよかったらみてください。

久しぶりの東京へ

先週末、生まれ育った東京へ行ってきました。1日目に大学テニス部の同期会で盛り上がり、翌日に ジオラマの舞台の散策と 国際鉄道模型コンベンション(東京ビッグサイト)を見てきました。特にジオラマの舞台は半世紀ぶりの散策で、記憶と現実のギャップに戸惑いながらも、青春時代にタイムスリップして新鮮なひとときを過ごせました。


まず今製作中のジオラマの舞台の散策です。途中にあった表示地図で説明します。この点線の通り、地図の下方から上方へ  渡し舟を経由し 中央に流れる坂川を渡って野菊の墓文学碑に至る、ゆっくり歩いて2時間ほどのコースです。左方には常磐線と国道6号線が平行に走っています。
真夏の炎天下を想定し、ツバ付き帽子と日傘を用意してましたが、東京は雨日の記録を更新中で、この日は曇り空。気温も30℃未満。実にラッキーでした!


「フーテンの寅」と「さくら」の銅像が立つ京成柴又駅が起点です。


土産物屋が立ち並ぶ商店通りの先に「柴又帝釈天」があります。「寅さん」ですっかり有名になりましたが、お堂の壁面に描かれた彫刻も有名です。


江戸川にやってきました。懐かしい風景が広がっています。日曜日の朝8時なのにグラウンドは野球チームでいっぱいです。時間がたっぷりあるので取水塔の方に行ってみます。
昔に比べると、土手や歩道などずいぶんきれいに整備された感じです。


三角帽子の取水塔に来ました。立入禁止の柵が仰々しいですね。侵入者がいたんですね、きっと。情緒がないねー、がっかりです。


土手を挟んで江戸川の反対方向に我が母校があります。当時の面影は もちろん全くありません。鉄筋になって2代目あたりかな?体育館の壁に「金町小学校143周年」の垂れ幕がありました。歴史ある小学校なんです。この校庭で、夜 映画会も開かれてました。


「矢切の渡し」まで戻って、10時の営業開始まで長いこと待ちました。やがて対岸の千葉県側から1人の客を乗せて舟がやってきました。客を下ろし、さあこれから私、初乗船です。写真は、船頭が「どうぞ」と言って我々を促し舟に向かうところです。片道200円、4~5分の経験です。


桟橋をゆっくり離れていきます。東京は長雨のせいで川の流れも例年より速いらしいです。

あっという間に対岸に来ました。途中まで川の流れに任せて手櫓ぎしていた船頭は、後半はモーターを使って川をさかのぼるようにして対岸に接近していきました。意外なモーター音にびっくりしましたが、“営業路線”なので“情緒”を求めるべきではないな、と納得。


千葉県に入りました。船頭らは千葉県側からの人で、こちらの桟橋が拠点という感じです。確かにこちらの方が木立は多いし、売店もあります。「矢切の渡し」を紹介する説明ボードには、「380年の歴史がある。江戸への出入りがきびしく制限されていた時代に、農民たちが特別許可をもらって農耕のために利用した“農民渡し舟”だった」とあります。

船着き場から歩き出すとすぐ河川敷ゴルフ場が見えました。


土手を越えて広い畑エリアに入ってきました。鉄塔の奥の小高い丘に「野菊の墓文学碑」があります。


「矢切橋」まで来ました。橋の下 両側に、不法?定住者のバラック小屋を見つけ、これが現実か!と、うなってしまいました。憧憬はあくまで憧憬。憧憬のイメージでジオラマ製作を続けよう‥。


来ました来ました。終点の高台に到着です。やっぱり気持ちが落ち着くなあ。改めて文学碑にある文章を読み返し、しばし 初めてここに来た時の感激を思い出していました。


その文章のままに、高台からの眺めが広がっています。文章にある上野の森や利根川はビルに変わってしまいましたが‥。


柴又から文学碑まで、ジオラマ製作の“取材旅行”的な意味合いで散策したのですが、改めて思うことは、“ジオラマ製作は自分の「思い」を創り込むことであり、「感じたこと」を創り込むこと”  ということです。旅行を通じて再確認できたのがよかったです。

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